中田正子さんは、1910年に東京で生まれました。父親は鳥取県出身で、幼少期から法律に興味を持っていたそうです。明治大学女子部に進学し、法律を学び始めました。当時は女性が弁護士になることは法律で禁止されていましたが、中田さんは諦めることなく勉学に励みました。
1933年に弁護士法が改正され、ようやく女性にも弁護士への道が開かれました。中田さんは1937年に司法試験の筆記試験に合格しましたが、口述試験で不合格となりました。しかし、翌年再挑戦し、見事合格を果たしました。
1940年、中田正子さんは三淵嘉子さん、久米愛さんとともに日本初の女性弁護士として登録しました。東京で弁護士活動を始めた中田さんは、女性の権利擁護に力を注ぎました。
戦後、夫の実家がある鳥取県に移住し、1950年に鳥取市で法律事務所を開設しました。長年にわたり鳥取県唯一の女性弁護士として活躍し、多くの依頼人の相談に乗り、法的支援を行いました。
中田さんは、女性の社会進出や権利向上にも尽力しました。1974年には鳥取県弁護士会の会長に就任し、女性初の弁護士会会長となりました。また、日本弁護士連合会の理事も務め、全国的にも活躍の場を広げていきました。
中田正子さんの功績は、単に日本初の女性弁護士の一人というだけではありません。彼女の活躍は、多くの女性に法曹界への道を開きました。現在、女性弁護士の数は増加し続けており、2024年には日本弁護士連合会に初の女性会長が誕生しました。
中田さんの生涯は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」の登場人物、久保田先輩のモデルの一人とされています。ドラマを通じて、彼女の功績が広く知られるようになりました。
中田正子さんの功績を後世に伝えるため、鳥取県弁護士会は2016年にマスコットキャラクター「まさこ先生」を制作しました。「まさこ先生」は中田さんをモデルにしており、法服を着た愛らしいキャラクターです。
「まさこ先生」は、鳥取県内外のイベントに登場し、法律相談や法教育活動などで活躍しています。2024年6月には、中田さんの母校である明治大学を訪問し、「虎に翼」展を見学するなど、中田さんの功績を広めるための活動を行っています。
中田正子さんが弁護士になった1940年当時、女性弁護士はわずか3人でした。しかし、彼女たちの努力と功績により、現在では多くの女性が法曹界で活躍しています。
日本弁護士連合会の統計によると、2024年4月1日現在、全国の弁護士43,556人のうち、女性弁護士は9,615人で全体の22.1%を占めています。この数字は年々増加しており、中田さんたちが切り開いた道が、確実に広がっていることがわかります。
また、法科大学院における女性の割合も増加傾向にあり、将来的にはさらに多くの女性法曹が誕生することが期待されています。
年 | 全弁護士数 | 女性弁護士数 | 女性比率 |
---|---|---|---|
1950年 | 5,800人 | 約10人 | 0.2% |
1990年 | 14,000人 | 700人 | 5.0% |
2024年 | 43,556人 | 9,615人 | 22.1% |
中田正子さんの生涯は、困難に立ち向かい、社会の壁を乗り越えて道を切り開いた先駆者の物語です。彼女の功績は、現代の女性法曹たちに大きな勇気と希望を与え続けています。
「虎に翼」というドラマタイトルは、まさに中田さんたちのような先駆者たちが、困難を乗り越えて高く飛翔していく姿を表現しているのかもしれません。私たちは、中田正子さんのような先人たちの努力を忘れず、さらに平等で公正な社会の実現に向けて歩み続けていく必要があるでしょう。