松山ケンイチが演じる桂場等一郎と、そのモデルとされる石田和外には多くの共通点があります。両者とも優秀なエリート裁判官であり、司法の独立を重んじる姿勢を貫きました。また、甘いものが好きという意外な一面も共通しています。
石田和外は1903年に福井県で生まれ、東京帝国大学法学部を卒業後、裁判官としてのキャリアをスタートさせました。桂場等一郎同様、若くして裁判所の「期待の星」として注目されていたようです。
ドラマ「虎に翼」では、桂場等一郎が共亜事件の判決で「あたかも水中に月影を掬するが如し」という名文を残しました。これは、実際に石田和外が1937年の帝人事件で書いた判決文がモデルになっています。
帝人事件は、当時の政財界を揺るがした大規模な贈収賄事件でした。石田和外は、この事件の判決で全被告人に無罪を言い渡し、その判決文は法曹界で高く評価されました。
松山ケンイチが演じる桂場等一郎は、堅物で感情を表に出さない裁判官として描かれています。しかし、甘いものが大好きで、特にあんこが乗った団子を食べるときだけは表情が緩むという一面も。この設定は、石田和外の実際のエピソードを基にしているのかもしれません。
桂場等一郎は、ドラマの中で主人公・猪爪寅子(伊藤沙莉)の法律家としての人生の節目に必ず立ち会う重要な脇役として描かれています。寅子が法律家を目指すきっかけとなった場面から、彼女が日本初の女性弁護士として活躍する場面まで、桂場は常に寅子の近くに存在しています。
石田和外は1960年に第5代最高裁判所長官に就任しました。この時期、彼は「ブルーパージ」と呼ばれる人事異動を行い、リベラル派の若手裁判官たちを左遷・降格させたことで知られています。
ドラマ「虎に翼」でも、桂場等一郎が最高裁長官として同様の人事を行う場面が描かれています。この出来事は、司法の独立を守るという桂場の信念と、若手裁判官たちの理想との衝突を象徴的に表現しています。
石田和外には、裁判官としての顔とは別に、剣道の達人としての一面がありました。これは「虎に翼」ではあまり描かれていない部分です。
石田は10歳頃から剣道を始め、一刀正伝無刀流の第五代宗家となりました。また、小野派一刀流でも免許皆伝を受けています。彼は「私の人生は裁判と剣でした」と語っていたそうです。
この剣道家としての経験が、裁判官としての石田の姿勢にも影響を与えていたのではないでしょうか。厳格さと精神性を重んじる剣道の精神は、法律家としての石田の姿勢とも通じるものがあったかもしれません。
以上のように、「虎に翼」の桂場等一郎のモデルとされる石田和外は、裁判官としての輝かしい経歴だけでなく、剣道家としての一面や、時に物議を醸す決断を下した人物でもありました。ドラマでは描ききれない複雑な人物像が、実在のモデルには隠されているのです。
松山ケンイチの演技を通じて、私たちは石田和外という人物の一側面を垣間見ることができます。しかし、実際の石田和外はさらに多面的で奥深い人物だったのです。「虎に翼」を通じて、日本の法曹界を支えてきた実在の人物たちの姿に思いを馳せるのも、このドラマの楽しみ方の一つかもしれません。