総力戦研究所は、1940年9月30日に勅令第648号「総力戦研究所管制」によって設立された内閣総理大臣直轄の研究機関です。その主な目的は、対アメリカを想定した国家総力戦に関する調査・研究、そして若手エリートの教育・訓練でした。
研究所には、文官22人、武官5人、民間人8人の計35人が第一期研究生として入所しました。ドラマ『虎に翼』の航一のモデルとされる三淵乾太郎さんも、東京民事地方裁判所判事としてこの中に含まれていました。
研究所では、日米開戦を想定した「第1回総力戦机上演習計画」が行われ、研究生たちで疑似内閣も組織されました。三淵さんは、この疑似内閣で「司法大臣」兼「法制局長官」の役割を担っていたとされています。
総力戦研究所で行われた机上演習は、単なる軍事シミュレーションにとどまらず、工業力、資材、食糧、燃料の自給率、運送・補給経路の確保、同盟国との連携など、多岐にわたる要素を考慮した包括的なものでした。
研究生たちは膨大なデータを分析し、何度も議論を重ねた結果、衝撃的な結論に達しました。それは「開戦直後の緒戦は勝利が見込めるが、その後長期戦になることは必至であり、今の日本にはそれに耐えうる国力がなく敗北は避けられない」というものでした。
この研究結果は1941年8月に行われた「第1回総力戦机上演習総合研究会」で、当時の首相・近衛文麿や陸相・東条英機らに報告されました。しかし、この予測は軽視され、同年12月に日本は太平洋戦争に突入することになります。
ドラマ『虎に翼』では、航一が「日本が敗戦することを知っていたのに何もできなかった」という罪の意識を抱え続けている様子が描かれています。これは、実際の総力戦研究所のメンバーたちが感じていた苦悩を反映していると考えられます。
航一のモデルである三淵乾太郎さんが、戦後この経験をどのように受け止めていたかを示す直接的な資料は見つかっていません。しかし、戦争の結果を予測しながらも止められなかったという事実は、多くの研究所メンバーにとって重い十字架となったことでしょう。
総力戦研究所の存在が一般に知られるようになったのは、戦後の東京裁判においてでした。連合国側の調査により、研究所の活動内容が明らかになり、関連資料が証拠として提出されました。
国立公文書館には、第一回机上演習の資料などが保管されていますが、個別の研究生の発言記録は残されていません。そのため、三淵さんを含む研究生たちの具体的な言動や、彼らが感じていた葛藤の詳細は、今もなお謎に包まれています。
『虎に翼』は、総力戦研究所というあまり知られていない歴史的事実を通じて、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて問いかけています。航一の苦悩は、戦争に関わった多くの人々が抱え続けた罪の意識を象徴しているといえるでしょう。
ドラマは、私たちに過去の歴史と向き合い、そこから学ぶことの重要性を示唆しています。特に、世界各地で今なお紛争が続く現代において、この物語が持つメッセージは非常に重要です。
総力戦研究所の存在は、戦争の非合理性と、それを阻止できなかった知識人たちの無力感を浮き彫りにしています。同時に、正確な情報と冷静な判断の重要性、そして平和を維持するための不断の努力の必要性を私たちに教えてくれているのです。
NHK for School「昭和・戦争の時代」:戦時中の日本の様子をわかりやすく解説しています。
『虎に翼』は、単なる歴史ドラマではありません。過去の出来事を通じて、現代を生きる私たちに重要な問いを投げかけているのです。総力戦研究所の存在とそこで行われた予測は、情報の重要性と、それを適切に活用することの難しさを示しています。
私たちは、この物語から何を学び、どのように未来に活かしていくべきでしょうか。平和な社会を維持するために、一人一人ができることは何か。そして、過去の過ちを繰り返さないために、どのような姿勢で歴史と向き合うべきか。『虎に翼』は、これらの問いについて深く考える機会を私たちに与えてくれているのです。