虎に翼 寅子の夫 優三と航一の物語

朝ドラ「虎に翼」で描かれた寅子の2人の夫、優三と航一。彼らのモデルとなった実在の人物たちの物語とは?そして、ドラマでは描かれなかった寅子の晩年の姿とは?

虎に翼 寅子の夫たちの実像

寅子の夫たちの特徴
👨‍⚖️
優三(初婚)

寅子の家の元書生、戦死

👨‍⚖️
航一(再婚)

裁判官、4人の子持ち

💑
共通点

法曹界で活躍、寅子を支える

虎に翼 寅子の初婚 和田芳夫との出会い

寅子のモデルとなった三淵嘉子さんの最初の夫は、和田芳夫さんでした。ドラマでは仲野太賀さんが演じた佐田優三のモデルです。実際の和田芳夫さんは、三淵家の書生として嘉子さんと出会いました。

 

嘉子さんが26歳の時、両親が結婚を勧めてきたことがきっかけで、嘉子さん自身が和田芳夫さんとの結婚を希望したそうです。当時としては珍しく、女性側からの積極的なアプローチだったと言えるでしょう。

 

二人は昭和15年(1940年)に結婚しましたが、和田芳夫さんは出征し、残念ながら昭和21年(1946年)5月に長崎で戦病死しました。ドラマでの優三の死とは状況が異なりますが、嘉子さんが若くして未亡人となったことは事実です。

虎に翼 寅子の再婚相手 三淵乾太郎との出会い

嘉子さんの再婚相手となったのは、三淵乾太郎さんです。ドラマでは岡田将生さんが演じた星航一のモデルとなっています。

 

三淵乾太郎さんは、嘉子さんより8歳年上で、初代最高裁判所長官の三淵忠彦の息子でした。乾太郎さん自身も裁判官として活躍し、最高裁判所の調査官を務めていました。

 

二人は昭和31年(1956年)8月に再婚しました。この時、嘉子さんは41歳、乾太郎さんは50歳でした。乾太郎さんには前妻との間に4人の子供がいたため、嘉子さんは5人の子供の継母となりました。

虎に翼 寅子の夫たちとの家族生活

最初の夫・和田芳夫さんとの間に、嘉子さんには息子の芳武さんが生まれています。ドラマでは寅子と優三の間に娘の優未が生まれましたが、実際は男の子だったのです。

 

嘉子さんは、名古屋での単身赴任時代に、息子の芳武さんと二人で6畳二間の住宅で暮らしていました。仕事と子育ての両立に奮闘する姿は、現代の働く母親たちにも共感を呼ぶものでしょう。

 

再婚後は、乾太郎さんの4人の子供たちと、自身の息子を合わせた5人の子供たちの母親となりました。ドラマでは描かれませんでしたが、嘉子さんは継子たちとの関係構築にも尽力したそうです。

虎に翼 寅子の夫たちの仕事と支え

嘉子さんの二人の夫は、どちらも法曹界で活躍した人物でした。最初の夫・和田芳夫さんは弁護士として活動していましたが、戦争によってその人生を断たれてしまいました。

 

再婚相手の三淵乾太郎さんは、裁判官としてのキャリアを積み、最高裁判所調査官という重要な職に就いていました。乾太郎さんは、嘉子さんの仕事を理解し、支える良きパートナーだったと言われています。

 

嘉子さんが女性初の裁判所長に就任した際も、乾太郎さんは妻の活躍を陰ながら支えていたそうです。二人で弁護士として活動した時期もあり、互いの専門性を尊重し合う関係だったことがうかがえます。

虎に翼 寅子のモデル三淵嘉子の知られざる晩年

ドラマ「虎に翼」では描かれなかった嘉子さんの晩年ですが、実際には社会貢献活動に力を注いでいました。65歳で裁判官を定年退官した後も、日本婦人法律家協会の会長や労働省の男女平等問題専門家会議の座長を務めるなど、精力的に活動を続けていました。

 

特筆すべきは、嘉子さんが男女雇用機会均等法の制定に大きく貢献したことです。この法律は、職場における男女の平等な機会と待遇の確保を目的としており、現代の日本社会に大きな影響を与えています。

 

また、嘉子さんは非行少年の更生支援にも力を入れており、「東京少年友の会」の理事として活動していました。最後まで社会正義と人権擁護のために尽力した姿勢は、多くの人々に感銘を与えています。

 

嘉子さんの葬儀には2000人以上が参列したと言われており、その生涯が法曹界や社会に与えた影響の大きさがうかがえます。

 

 

 

以上のように、「虎に翼」の寅子のモデルとなった三淵嘉子さんの人生は、二人の夫との関係を通じて、仕事と家庭の両立、そして社会貢献という多面的な側面を持っていました。ドラマでは描ききれなかった部分も含め、嘉子さんの生涯は現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。